昨日、交通事故にあいました。
自動車対自動車でしたが、全面的に向こうの非になりそうです。
治療費に関しては、全面的に先方の保険会社さんが持つ形になりました。
少し、腰が痛かったので、昨日救急車で運ばれ、レントゲン等撮りました。
診断名は「腰背部 挫傷」になりました。
今日より治療を開始して、10日間ほど通うことになりました。


治療を開始するにあたって、年配(70〜80歳くらい?)の先生が非常に興味深いことをおっしゃっておりました。


その先生のおっしゃったことをそのまま書きますよ!


「人間・生命体は電気でできている」
手塚治虫は、漫画「鉄腕アトム」が起動するとき、最初は身体がくにゃっとなって、動かない状態だったが、電気を注入することによって、生きた」
手塚治虫は生命を電気として捉えている」
医学生がだれでも最初に学ぶことは、カエルの解剖で、電気を通す実験がある」
「そこから「鉄腕アトム」の、起動するシーンを手塚治虫は考え付いたんじゃないのか?」
と、(敬称略です。今日診察してもらった院長先生のご発言です)


そこから先生は、人間は「電気」を食べ、発する動物である。幽霊も人間が突然死したため、その場に放電している状態だ・・・・・
と、そこまで言われると、ちょっと「う〜〜〜ん・・・」となるのですが、とにかく「鉄腕アトム」の話題がでてきたことは嬉しかったです。
思いっきり身体張ったかいはあったかな?(いや!ないない^^;)


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では私からの、手塚治虫先生のコメントを入れさせていただきます。


手塚治虫先生は戦中派の人です。兵庫県宝塚市出身で、学生時代から漫画家を志しておりましたが、丁度そのころは太平洋戦争中。赤紙(お国のために徴収されて兵隊に出されることです)で前線に出るよりかは、、、、と大阪帝国大学医学部に入学します。学生時代に学徒出陣(学生なのに軍部のお達しで学生を兵器工場等に動員することです)で、工場作業をして、その寸暇も惜しんで漫画を描いたそうです。怖い軍曹の目を盗んで、数秒でも漫画を描いたそうです。その描いた漫画を人に見せたくなり、さりとておおっぴらにはできないと、便所に張った逸話があります。終戦後、表現の自由が認められてからは、大学生として在学中から卒業後、ずっと没後まで第一線の漫画家として活躍なされました。
手塚先生は医師の知識があることから、医師免許を持たない外科医の活躍を描く、名作・「ブラック・ジャック」を発表し、豊富な医学知識と緻密な手術描画を描かれました。
また、自分のご先祖が幕末の医師だと言う話より構想を膨らませ、「陽だまりの樹」を発表されました。ご先祖様の医師・手塚良庵が登場します。この作品に登場する青年医師・手塚良庵は、実在した手塚治虫の先祖をモデルにしており、連載当時は、手塚治虫のルーツを描いた作品として話題になりました。実在の手塚良庵は、日本で初めて軍医となった人物だということで、そのエピソードはこの作品の中にも描かれています。
きりひと讃歌」も医学の世界と奇怪な病気がテーマです。この作品は一説によると、小説「白い巨塔」からヒントを得たともいわれております。「白い巨塔」のテーマと言えば、大学病院内の派閥争いです。医学部に在籍していた手塚先生は、そういう大学病院の雰囲気も知っていたと思います。
さらには「アドルフに告ぐ」の作中にある神戸・大阪空襲は、少年・手塚治虫が実際に体験し、目の当たりにした光景を描いたものだとされています。橋の下、川に山のように積み重なる人間の死骸。それを実体験してどう心中、手塚先生は思われたのか、漫画家としての方向性にも強く影響されたかも知れません。