漫画がこの世にある限り、永遠の名作です!


内容は、破天荒な不良少年、矢吹丈丹下段平が叱咤激励しながら共に世界ボクサーになるというストーリーです。
東京のスラム街にふらっと現れた風来坊の少年、矢吹丈。そのボクサーとしての天性の資質を見抜いたアル中で元ボクサーで宿無しの丹下段平。物語を通じて現れるヒロイン、白木葉子。永遠のライバル、力石徹
語りつくせぬドラマがここにあります。


その漫画の衝撃と伝説をいくつか例にとってみましょう。この漫画ほど伝説と逸話の多い作品もありません。



原作者に高森朝雄とありますが、「巨人の星」の原作を手がけたカラーを異なるよう、他の名を使ったそうです。
作画はちばてつや先生です。
スポーツ漫画を主に、多作な執筆活動をしている作家です。ゴルフ漫画で主人公がスイングするときの間を計るタイミングとして使った「チャー・シュー・メーン」は、現実に多くのゴルファーの間で行われているそうです。


梶原一騎先生は「漫画の魔王」の異名通り、作画を担当する漫画家と熾烈な争いを強いた作家です。
ちばてつや先生は梶原一騎先生の原作から真っ向から立ち向かい、原作以上の作品を生み出しました。


作品の伝説として、ちばてつや先生が最初のドヤ街をスケッチするために東京山谷の木賃宿に泊まろうと宿賃を出そうとしたら、「あんた手が綺麗で柔らかいからここの人間じゃないね」と言われました。
また、梶原先生とちばてつや先生との打ち合わせの行き違いから、主人公矢吹丈の最大のライバル・力石徹を大きく描きすぎて丈と体格が違いすぎ、リングでボクシングとして戦うのが画的におかしくなったので、結果的に力石を異常な減量で殺さざるをえなかったことはあまりに有名です。またラストシーンをどうするかで様々なエピソードを考えましたが、最終的にちばてつや先生の案が通り、「真っ白な灰のジョー」なったそうです。「あしたのジョー」連載終了後しばらく、ちば先生はジョーの絵が全く描けなくなったそうです。


さらには、その当時の団塊世代全共闘大学生の間のバイブルとして流行った言葉として、「右手にジャーナル、左手にマガジン」がありました。
どういう意味かと申しますと、左翼系論壇誌である「朝日ジャーナル」を読んで論争し、デモする若者たち。その当時まで漫画というものは子供が読むもので、大人になったら漫画は卒業するのが当たり前でした。しかしその世代からは20過ぎても漫画雑誌「あしたのジョー」が掲載されている「少年マガジン」を代表する漫画を読む若者たちが現れるようになります。
これが日本での漫画の発展に、大きく寄与した遠因のひとつであることは間違いないと思います。


1969年の東京大学安田講堂における攻防後、警察が講堂に入ってみると、中には「少年マガジン」が散らばっていたそうです。


そして・・・・


1970年3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした日本航空機に対するハイジャック事件。日本における最初のハイジャック。よど号をハイジャックし、北朝鮮へ亡命した日本赤軍のメンバーの「我々はあしたのジョーになる」という声明文は皮肉にも歴史に名を残りました。
漫画初の架空の人物である力石徹の、寺山修司氏による葬儀。


今読んでも命が通っている、脈動・感動できる漫画です。
漫画を愛する人へ、世代を超えて男女も越えて読んでもらいたい傑作中の傑作です。