今日は特別編をお送りします。


11月25日に、栃木県宇都宮市で開催された”若者フェスタ”で、ちばてつや先生が特別講演をされました。2時間にわたる講演で、じっくりと先生の人柄に触れることができて大満足でした。
私はお土産の和菓子と、このまんがBlog(印刷したら300ページ以上はありました。)を持って行き、実行委員会にお願いして、楽屋入りしている先生をお邪魔しました。それがこのときの写真です。サインも頂いちゃいました!



楽屋入り中の先生と私です。私が手に持っているのは、ちば先生のサインです。



楽屋入り中なので、おそるおそるお願いしましたが、快諾してくれました!
先生、ありがとうございます!



講演中の写真です。



先生は、御年67歳。今年で漫画家50周年だそうです。現在は宇都宮にあります、母校、文星芸術大学マンガ科の教授をして、後進の育成にあたられているそうです。


講演中に耳に残ったのは、
満州にいたことで、戦争に負けた後も満州に残り、食わず食わずの生活をされていたことです。
3人兄弟でがやがや生活されていたことなど、下町の空気や雰囲気がお好きなこと。子供は元気に野生なんだから逞しいのが丁度いい。だからハリスの旋風(かぜ)や、おれは鉄平など出されたのでしょうね。


小学生・中学生の頃から漫画を描くのが好きで、布団にもぐってまで漫画を描いていたそうで、母から怒られたらしいですが、高校2年の時に描き溜めた原稿が一冊の本になり、原稿料をもらえたことにちばてつや先生はショックを受けたそうです。「漫画を描いてお金になるんだと」その時の出版社の方が石橋国松さんで、原稿は真っ白を使いなさい。黒インク、墨汁をつかいなさい。間違ったらホワイトを使いなさい。等の漫画のイロハを教えてくださったそうです。今でも初めて貰った原稿料のことは忘れられないそうです。原稿料をもらってからは、漫画に反対していた母の態度が一変したことも忘れられなかったそうです。
ハリスの旋風の主人公の名前、石田国松の名前は、恩人の石橋国松さんより取ったそうです。


質疑応答で私は、実弟ちばあきお先生について質問しました。元々身体が弱かったそうです。画はもともと上手かったそうで、ちばてつや先生出入りの出版社さんから「デビューしてみない?」と誘われ、デビューしたものの、一人の漫画家として重圧感を感じたのか非常なスランプになり、3ヶ月で30枚描くものの、身体は憔悴しきっていたそうです。


また、「あしたのジョー」のラストシーンについては、原作者・梶原一騎氏の、世界挑戦で僅差の判定で負けるところで丹下に「お前はボクシングに負けたが、喧嘩には勝ったんだ」。その後最後は白木の邸宅で老後を迎える、ジョー・・・・・。こんなの絶対納得できない!とちば先生は20以上ラストシーンを考えましたが、作中、乾物屋ののりちゃんとのデートシーンで、のりちゃんが、「そんなに辛い減量して、打たれて痛いのにどうしてそこまでボクシングするの?」それに対しジョーが言った「俺はまだ炎のように熱い。真っ白な灰になるまで戦うだけさ」というシーンを担当編集者の持ち出し、それをヒントにあの有名なラストシーンを描かれたそうです。


また、講演中、漫画家はじっと椅子に座るのが仕事だから、身体を逆に動かしなさい!というのが強いメッセージに感じました。今も実行なさっており、生徒と共に汗を流しているそうです。漫画家という仕事は激務なのか、同じ世代の漫画家先生は逝去されております。身体を動かすのが長生きで、元気の秘訣とおっしゃっておりました。


生の声を聞くことは、生の雰囲気を感ずることは非常に大切だと感じました。人のオーラというか、かもし出す雰囲気を実感したり、とても貴重な一日でした。